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「京都・智積院の名宝」サントリー美術館
サントリー美術館
東京都港区赤坂9-7-4 :六本木・東京ミッドタウン ガレリア3階
「東京ミッドタウン」 21世紀の日本を代表する街、世界に類を見ない独創的な街が誕生しました。

 
「京都・智積院の名宝」サントリー美術館
「抒情荘厳。」サントリー美術館 「等伯プロデュース、国宝障壁 一挙公開。」サントリー美術館

Treasures from the Chishakuin Temple in Kyoto


 京都・東山に建つ智積院は、弘法大師空海(774~835) から始まる真言宗智山派の総本山で、全国に末寺 3,000 を擁します。 高野山中興の祖といわれる 興教大師覚鑁(1095~1143) の法統を受け継ぎ、後に隆盛を極めた紀伊国根来寺山内で室町時代中期に創建されました。 天正年間には豊臣秀吉政権の下で一旦衰退しますが、その後、徳川家康の寄進を受け、江戸時代初期には現在の地に再興を遂げました。 この地には元々、秀吉の夭折した息子・鶴松(棄丸) の菩提を弔らうために建てられた祥雲禅寺があり、 長谷川等伯(1539~1610) と息子・久蔵(1568~93) が描いた名高い金碧障壁画群も、智積院による手厚い保護を受けて今日まで大切に守り伝えられてきました。

 本展は、国宝 「楓図」 「桜図」 など、誰もが知る障壁画群を初めて寺外で同時公開し、桃山時代の絢爛豪華な抒情美にふれる貴重な機会となります。 また、国宝 「金剛経」 や重要文化財 「孔雀明王像」 の他、仏堂を荘厳する仏教美術の貴重な優品や、近代京都画壇を代表する堂本印象(1891~1975) による 「婦女喫茶図」 に至るまで、智積院が秘蔵する多彩な名宝を一堂に公開します。


会期: 2022 11/30 [水]~2023 1/22 [日] 展覧会は終了しました。
※作品保護のため、会期中展示替えを行います。
休館日:毎週火曜日(但し 1/17 は 18 時まで開館)、12/30[金]~1/1[日・祝]
開館時間:10時~18時 (金・土 および 1/8 [日] は 20 時まで開館)
※いずれも入館は閉館30分前まで ※shop x cafe は展示替え期間中の火曜日、年末年始は休業。

会場:サントリー美術館 六本木・東京ミッドタウン ガレリア3階



'2022 11_29 「 京都・智積院の名宝」 展のプレス内覧会の会場内風景です。
画像をクリックすると大きな画像で各章がご覧いただけます。

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「京都・智積院の名宝」サントリー美術館

京都・智積院の名宝」 展
「プレス説明会 & プレス内覧会」 サントリー美術館 '2022 11_29


京都・智積院の名宝
抒情と荘厳。― 等伯プロデュース、国宝障壁画一挙公開。

本展覧会 「 京都・智積院の名宝 」 図録、プレスリリース、「News Release No. sma 0058」、Newsletter vo.290 プレス説明会より参考に、抜粋文を掲載しています。
「展示構成」―第 1 章~第 5 章まで全 5 章の構成―

展覧会の見どころ】 ― 大城 杏奈 (サントリー美術館 学芸員)、プレス説明会の抜粋―
 本展は、京都・東山の真言宗智山派・総本山智積院に伝わる名宝で、出展作品数は文化財指定作品 12 点、初出展作品 10 点を含む全 73 点でご紹介いたします。 最大の見どころは、これまで片方のみしか展示されなかった長谷川等伯、息子久蔵(26 歳で夭折)、親子の作品 No.21 国宝 《楓図》、No.22 国宝 《桜図》 の同時展示が実現、障壁画のなかでも最大の高さ(330cm)を誇る No.23 国宝 《松に黄獨葵図》 の展示、普段は非公開の智積院を代表する現代美術の名宝まで一挙に公開、その他智積院の名品の数々で貴重な機会となります。
 展示構成は全 5 章で真言宗開祖・弘法大師空海に遡り、真言宗智山派の歴史を概観する第 1 章から始まり、現代の智積院まで、名宝を通して、智積院の歴史を時代区分順にご紹介します。

展示構成
第1章 空海から智積院へ Chaptcr 1 From Kūkai to Chishakuin Temple
第2章 桃山絵画の精華 長谷川派の障壁画 Chaptcr 2 The Quintessence of Momoyama Art: The Tōhaku School Wall Paintings
第3章 学山智山の仏教美術 Chapter 3 The Buddhist Art of Gakusan Chisan
第4章 東アジアの名品集う寺 Chapter 4 Chishakuin and the Art Collected from East Asia
第5章 智積院の名宝が結んだ美 Chapter 5 The Modern Artworks Inspired by Chishakuin's Treasures


'2022 11_29 プレス内覧会の作品展示風景です。
 「 京都・智積院の名宝 」図録、NEWS RELEASE No..sma0038、Newsletter vo.275 などからの抜粋文章を掲載しています。
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・画像をクリックすると 「第2章 桃山絵画の精華 長谷川派の障壁画」 の拡大ページに移ります。

第1章 空海から智積院へ  Chaptcr 1 From Kūkai to Chishakuin Temple

  真言宗の宗祖である弘法大師空海は、平安時代 9 世紀初めに紀伊国(現在の和歌山県) で真言密教の根本道場となる高野山を開創しました。 その後、 高野山に入山した興教大師覚鑁は、鳥羽上皇(1103~56) の帰依を受けて、荒廃していた高野山を復興し、大治 5 年(1130) に上皇の勅願寺として大伝法院を開きます。 この大伝法院は、のちに同所で研鑽を積んだ頼瑜僧正(1226~1304) によって、 覚鑁が神谷山麓に開いた円明寺・神宮寺(のちの根来寺) へ移され、その法統が智積院にも受け継がれていきました。
 本章では、空海や覚鑁の優れた肖像や、智積院中興の祖師たちにまつわる貴重な品々によって、智積院の歴史を概観します。 また、「智積院靈寶并袈裟世具目録」(宝永 2 年(1705) 作成 以下、「目録」) などの重要資料を寺外初公開することで、 「智積院の名宝」 が形成されてきた背景を紹介します。

No.3《弘法大師像》、No.5《興教大師像》、No.18《額字原書「密厳堂」》

右・No. 3 《弘法大師像》 一 幅 絹本着色 縦 108.0 x 横 75.0 室町時代 文安元年(1444) 智積院蔵/ 中・No. 5 京都府指定有形文化財 《興教大師像》 一 幅 絹本着色 縦 77.5 x 横 39.0 鎌倉時代 13 世紀 智積院蔵 / 左・No. 18 《額字原書「蜜厳堂」》 運敞 一幅 縦 57.7 x 横 145.3 江戸時代 寛文 12 年(1672) 智積院蔵

右・No. 3 《弘法大師像》 弘法大師空海(774~835)は求法のため唐に渡り、帰国後は高野山をはじめとする真言密教の寺院を建立して、真言宗の礎を築いた。/ 中・No. 5 《興教大師像》 興教大師覚鑁(1095~1143) は真言宗の中興とされる僧で、鳥羽法皇の帰依を受けて、高野山上に大伝法院と密厳院を建立した。/ 左・No. 18 《額字原書「蜜厳堂」》 運敞 能化第七世運敞が 59 歳の筆で、その人なりを感じさせる、力強く堂々とした筆致が特徴である。


・画像をクリックすると 「第4章 東アジアの名品集う寺」 の拡大ページに移ります。

第3章 学山智山の仏教美術 Chapter 3 The Buddhist Art of Gakusan Chisan

  空海から脈々と伝わってきた真言教学の正統な学風を伝える智積院は、「学山智山」 とも呼ばれ、多くの学僧を輩出してきたことでも知られます。 その仏教美術の名宝が、 真言宗に関連する品だけでなく、宗派を問わない幅広い分野のものがみられることは、学問を通して寺内外の学僧と繋がりを持ってきた智積院ならではの歴史を色濃く物語っているといえるでしょう。 その中でも、国宝 「金剛経」 は、中国・南宋時代の書家、張即之(1186~1266) の代表的な作品です。
 その特徴でもある堂々とした筆跡は、後世の日本の書に多大な影響を与えました。 また、ともに重要文化財である 「孔雀明王像」 や 「童子経曼荼羅図」 は、今なお豊かな彩色を留める鎌倉時代の仏画の優品で、仏教絵画史上においても見逃せない名宝です。 この他にも、本章では、智積院内の仏教儀礼において堂内を荘厳してきた、貴重な仏画や曼荼羅、経典の名品をご紹介します。

No.40.41.42.43.44《密教法具》

・No. 40.41.42.43.44 《密教法具》 一 式 真鍮鋳造 (No. 40 独鉆鈴:高 24.4、口径 10.4 独鉆杵:長 23.2 金剛盤:幅 30.7、高 6.2 / No.41 三鉆鈴:高 24.5、口径 10.5 三鉆杵:長 23.2 金剛盤:幅 30.5、高 6.1 / No. 42 五鉆鈴:高 24.8、口径 10.5 五鉆杵:長 22.8 金剛盤:幅 30.7、高 6.2 / No.43 宝珠鈴:高 24.8、口径 10.5 宝珠杵:長 23.7 金剛盤:幅 30.7、高6.2 / No.44 塔鈴:高 53.0 輪宝:径 20.5、厚 2.1 ) 江戸時代 慶応 2 年(1866)以前 智積院蔵

・No. 40.41.42.43.44 《密教法具》智積院内の修法で、壇上中央に塔鈴を安置し、その四方に金剛鈴・杵と金剛盤を組み合わせて使われたと考えられる。 また、5 種の鈴は一具で五智如来を示し、塔鈴は大日如来、宝珠鈴は宝生如来、五鉆鈴は阿閦如来、三鉆鈴は不空成就如来、独鉆鈴は無量寿如来とされる。 緻密に彫り込まれた装飾が見事である。



・画像をクリックすると 「第5章 智積院の名宝が結んだ美」 の拡大ページに移ります。

京都・智積院

総本山・智積院 (〒 605-0951 京都府京都市東山区東瓦町 964 番地 tel. 075-541-5361 https://chisan.or.jp/)

 智積院は真言宗智山派の総本山であり、京都の東山七条にあります。 成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院の大本山を始め、東京都の高幡山金剛寺、名古屋の大須観音寶生院を別格本山として全国に 3,000 余りの寺院教会を擁し、 智積院は、全国約 30 万人にのぼる檀信徒の信仰のよりどころとして総菩提所、総祈願所と位置付られています。

 現在、国宝に指定されている智積院障壁画は、もとは豊臣秀吉が天正 19 年(1591) に幼くして亡くなった鶴松(棄松) の菩提を弔らうために建立した祥雲禅寺の客殿に描かれた障壁画であった。 同寺は秀吉の死後、無住となっていたが、慶長 20 年(1615) の大坂夏の陣で豊臣家が滅亡した際、徳川家康の計らいで智積院に祥雲禅寺の寺地と壮麗な建物が与えられたという経緯がある。 その後、天和 2 年(1682) と昭和 22 年(1947) の火災、明治 25 年(1892) の盗難によって、障壁画にも規模の縮小や画面の改変が生じたが、智積院の尽力によって、幸いにも主要な画面が揃って今に伝わっている。
 等伯が全体を構想するにあたって下敷きにしたのは、天正 16 年(1588) に、秀吉が実母・大政所の病気平癒を祈願するために建立した天瑞寺の障壁画であったと推定されている。 この天瑞寺障壁画の筆者は狩野永徳(1543~90) で、「松、桜、竹、菊」 の 四種の植物を各間ごとに極彩色で描いた構成であったという。 等伯は一門を率い、持てる画技をすべて用いて、さらに覇気と抒情性があふれる金碧障壁画をみごとに完成させたのである。 ( 会場内展示 【智積院障壁画】 パネルより )


お問合せTel:03-3479-8600
サントリー美術館公式サイト:https://suntory.co.jp/sma/
主催:
サントリー美術館、総本山智積院、朝日新聞社
協賛:三井不動産、三井住友海上火災保険、竹中工務店、パナソニック ホールディングス、サントリーホールディングス

※サントリーホールディングス株式会社は公益財団法人サントリー芸術財団のすべての活動を応援しています。

参考資料:「 京都・智積院の名宝 」 図録、NEWS RELEASE No.sma 0058、Newsletter vo.290、プレス説明会、チラシ他
※画像の無断転載禁止


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