クラーナハ展
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500年後の誘惑 |
LUCAS CRANACH THE ELDER 500 Years of the Power of Temptation |
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ドイツ・ルネサンスを代表する画家、ルカス・クラーナハ (父、1472-1553年) は、特異なエロティシズムを湛えた数々の女性像を生みだしたことで、よく知られています。
日本ではとくに、クラーナハが盟友マルティン・ルターの姿を描いた肖像画を、歴史の教科書などで眼にされた方も多いかもしれません。 しかしこれまで、この画家の展覧会が日本で開催されたことはありませんでした。
東京の国立西洋美術館と大阪の国立国際美術館でおこなわれる本展は、1517年にルターが開始した宗教改革からちょうど 500 年を数える年に開かれる、日本初のクラーナハ展となります。 ウィーン美術史美術館とTBSテレビとで締結された協力関係にもとづく 3 回の展覧会プロジェクトの記念すべき第 1 回の展覧会です。 「クラーナハ展―500年後の誘惑」 と題し、画家の全貌を当時のドイツの社会背景などと併せてあきらかにしつつ、彼の死後、近現代におけるその影響にも迫ります。 |
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会期: 2016 10/15 [土]〜2017 1/15 [日] 展覧会は終了しました。 休館日: 毎週月曜日 (ただし、2017年 1月2日[月] は開館)、2016年 12月28日(水)-2017年 1月1日(日) 開館時間: 午前 9時30分 ― 午後 5時30分 (金曜日は午後 8時) ※入館は閉館の30分前まで 東京会場: 国立西洋美術館東京・上野公園 主催:国立西洋美術館、ウィーン美術史美術館、TBS、朝日新聞社 |
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大阪会場: 2017 1/28 (土) - 4/16 (日) 国立国際美術館 大阪・中之島 主催:国立国際美術館、ウィーン美術史美術館、TBS、MBS、朝日新聞社 |
'2016 10_14 「クラーナハ展」プレス内覧会の会場内の風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。 |
「クラーナハ展」開会式 '2016 10_14 |
クラーナハの絵画が時を超えて放つ 「500年後の誘惑」 を体感する! |
「クラーナハ展」 展覧会の概要 ― 「クラーナハ展」図録、PRESS RELEASE、他よりの抜粋文章です ― |
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1517年に開始された宗教改革から、ちょうど 500年を数える 2016-17年に開催されるこの展覧会は、オーストリア、ドイツ、オランダ、ハンガリー、イタリア、スペイン、イギリス、アメリカ、台湾、日本など、13
ヶ国、38 にもおよぶ所蔵先から集められた絵画や素描、版画など約 100 点で構成される、史上最大規模のクラーナハ展となります。 |
'2016 10.14 「クラーナハ展」プレス内覧会の会場内風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。 |
1 蛇の紋章とともに――宮廷画家としてのクラーナハ 1504 年、クラーナハはザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公により、ザクセン公国の都ヴィッテンベルク (ベルリンより南東におよそ 60km に位置する) に宮廷画家として招かれた。 当時、神聖ローマ帝国内で最も重要な選帝侯の一人であった領主君主に仕え、キリスト教の物語や古代神話を主題とした絵画や版画を制作していくことになる。 クラーナハは 1508 年に、ザクセン選帝侯からコウモリの翼をもち、冠を戴いた蛇の紋章を授けられ、以降署名代わりとして作品に書き込んでいった。 彼は宮廷画家として、計 3 代の選帝侯に、およそ半世紀間という長きにわたって仕えた。 |
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・2 ルーカス・クラーナハ (父) 《ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公》 1515年頃 テンペラ/板 (針葉樹材) 64 x 48cm コーブルク城美術コレクション |
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・2 この肖像画に描かれている ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公 (1463-1525年、在位:1486-1525年) は、弟のヨハン不変公とともに、1486
年からザクセン選帝侯領を統治していた。 ・7 この授乳の主題は、古代エジプトにおいてすでに、母女神イシスとその子である神ホルスの描写において、神々の姿を描くためにもちいられた。
・8 救済史のなかで運命づけられたキリストの死、本作ではそれが幼児の姿をした洗礼者聖ヨハネの差し出すリンゴによってさりげなく示されている。 この原罪の果実に手を伸ばしたとき、すでに現世の罪を象徴的に背負い込んでしまったキリストは、のちに十字架のうえで犠牲の死を遂げることになるだろう。 |
3 グラフィズムの実験―版画家としてのクラ−ナハ 16 世紀前半のドイツにおいて版画は、絵画よりずっと大衆的であり、なおかつ実験的な表現が試みやすいメディアとして、画家たちにイメージの大量生産を可能にするテクノロジーであった。 クラーナハは、1505 年にヴィッテンベルクでザクセン選帝侯の宮廷画家となって以降、とりわけ最初の数年間に、数多くの木版画を手がけた。 そこには、初期のクラーナハの芸術を特徴づける、荒々しくうねるような描線、ダイナミックに展開された構図が、しばしばみられる。 そうした 20 世紀の 「表現主義」 にもつうじるようなグラフィックの実践は、さらに驚くべきことに、鮮烈な 「色彩」 までをまとうことになる。 クラーナハは、西洋美術史上で初めて多色刷り木版の実験を行った先駆的な芸術家のひとりだった。 |
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・40 ルーカス・クラーナハ (父) 《聖クリストフォロス》 1509年頃 キアロスクーロ木版(第2ステート) 282 x 198mm アムステルダム国立美術館 【・36 ルカス・クラーナハ(父) 《マグダラのマリアの法悦》 1506年 木版(第2ステート) 242 x 142mm 国立西洋美術館】 【・37 マルティン・ショーンガウァー 《聖アントニウスの誘惑》 1470/75年頃 エングレーヴィング 294 x 209mm アムステルダム国立美術館】 |
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・40 巨人クリストフォロスは、肩に小さな男児を載せて河を渡ろうとしたところ、その童子の体がしだいに重くなったため、みずからの巨体をもってしても、ほとんど押し潰されんばかりに苦しめられたという。 かろうじて河の対岸までたどり着いたクリストフォロスは、たとえ世界のすべてを背負ったとしても、この男児より重いことはあるまいと叫んだ。 すると男児がこれに応じて、クリストフォロスは世界だけではなく、じつは世界の創造者をもその肩に載せて運んでいたのだと明かした。 男児はそう語り終えると、なんとキリストの姿に戻ったというのだ。 聖クリストフォロス 「ギリシャ語=キリストを担う者」 は、中世後期以降のドイツにおいて、疫病からひとびとを守ってくれる聖人として崇拝され、いわゆる 「14救難聖人」 のひとりにも数えられていた。 |
5 誘惑する絵―「女のちから」 というテーマ系 絵はひとを誘い、また惑わさる。 クラーナハはそうした 「誘惑」 の作用を、誰よりもよく知っていたはずである。 この画家が描き残した、じつに多様な作品群をあらためて眺め渡してみるとき、いくつもの絵が、それとなく共鳴しあっていることに気がつく。 互いに無関係であるかに思えていた複数の作品が、ある種の集合的な 「誘惑」 のイメージとなって立ち現れてくるのである。 つまり 「女のちから」、また 「女のたくらみ」 と呼ばれるテーマ系を、クラーナハは、さまざまな異なる主題の絵画をつうじて織りあげていたのだ。 「女のちから」 と称されるテーマは、古代神話から 『旧約聖書』、『新約聖書』、より世俗的な寓話など、じつに広範な源泉の中から見いだされる数々の 「誘惑」 のイメージ群にほかならない。 |
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・68 ・69 | |
・78 ルーカス・クラーナハ (父) 《ホロフェルネスの首を持つユディト》 1525/30年頃 油彩/板 (菩提樹材) 87 x 56cm ウィーン美術史美術館 【・68 ルーカス・クラーナハ (父) 《不釣り合いなカップル》 1530/40年頃 油彩/板 (ブナ材) 19.6 x 14.5cm ウィーン美術史美術館】 【・69 ルーカス・クラーナハ (父) 《不釣り合いなカップル》 1530年頃 油彩/板 (ブナ材) 38.8 x 25.7cm クンストパラスト、デュッセルドルフ】 |
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・78 『旧約聖書』 外典の 「ユディト記」 によれば、ある若く美しい未亡人が、アッシリアの強力な軍勢に脅かされていた故郷べトリアを、その制圧から守ったという。 ユディトは、敵方の首領ホロフェルネスの信頼を勝ちとり、彼を酒に酔わせ、頃合いを見計らってホロフェルネスの陣営地に忍び込み、その首を剣で切り落としたのである。 翌日、死した司令官を眼にして慄いたアッシリア軍は逃げ去り、包囲されていたユダヤの街べトリアは救われた。 マルティン・ルターは、この 「ユディト記」 を含む旧約外典の物語を出版していた。 ・68 愛はひとを盲目にし、金はひとを従順にする。 そんな今日にも通用する発想が 《不釣り合いなカップル》 と呼ばれる主題には流れ込んでいる。 ・69 老人は娘に高価な金のネックレスを差し出しており、年老いた男と若い女を慣例どおりに組み合わせて描いている。 |
クラーナハ展 |
500年後の誘惑 |
・日本側監修者: 新藤 淳 |
・オーストリア側監修者 グイド・メスリング |
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関連年譜 「クラーナハ年譜」 ―編:グイド・メスリング、新藤 淳 ・「クラーナハ展」図録より抜粋文章― |
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・1472 10 月 4 日? クローナハに生まれる。 |
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ルカス・クラーナ(父)は、この展覧会が開催される 2016-17 年よりちょうど 500 年前、彼自身の盟友でもあったマルティン・ルターによって 1517 年に開始された宗教改革の時代を生きたドイツの画家である。 舞台となったのは、ヴィッテンベルク。 ほかならぬ改革運動の震源地となったその都市で、クラーナハは 1505 年からザクセン選帝侯の宮廷画家として、およそ半世紀にわたって活動した。 この画家が仕えた計 3 代の選帝侯たち―フリードリヒ賢明公、ヨハン不変公、ヨハン・フリードリヒ寛大公―は、新たな思想や芸術を、積極的に庇護し、その環境ゆえに可能となったルターの宗教改革を、敵対勢力からの制圧にもかかわらず毅然と支持するなど、際立った政治を展開していた。 クラーナハの芸術も、そのような選帝侯たちが用意した文化的土壌なくしてありえなかった。…新藤 淳(国立西洋美術館研究員) |
お問合せ:03-5777-8600 (ハローダイヤル) 展覧会サイト:http://www.tbs.co..jp/vienna2016/ 国立西洋美術館サイト:http://www.nmwa.go.jp/ 主催:国立西洋美術館、ウィーン美術史美術館、TBS、朝日新聞社 後援:外務省、オーストリア大使館、BS-TBS、TBSラジオ、J-WAVE 特別協力:大和ハウス工業株式会社 協賛:大日本印刷 協力:オーストリア航空、ルフトハンザカーゴ AG、ルフトハンザドイツ航空、 アリタリア‐イタリア航空、日本航空、日本通運、西洋美術振興財団 |
参考資料:「クラーナハ展」図録、PRESS RELEASE & 報道資料 、他。 |
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